鉄鋼事業を営む父親の元で育った山口氏は大学卒業後、鉄工事の関連会社へ就職し、コンピュータソフトの受託開発事業で独立した。
「ソフト1個あたり数百万円の単価がつくような時代ですよ。昼間は営業に出て案件を取ってきて、深夜から翌朝までソフト開発をする毎日でした」
ITバブルを迎えると、受託制作事業での収益は右肩上がりに伸びた。2000年には社員100名、年商10億円を超え、大手メーカーへの技術者派遣や100以上のホテルのシステムを請け負うまでになった。
しかし翌年、バブルは崩壊。提携企業との契約は解消となり、受託案件は一瞬にしてなくなった。社員の失業、巨額の負債に直面した山口氏は、死をも覚悟したという。
「自分ではもうどうにもならず、友人のところへ相談に行くと、『倒産してサラからやり直した方がいい。何かあったら俺にだけは連絡よこせよ』と言われました。これがきっかけで、また一からやり直そうと決心がついたのです」
山口氏は「雇われの身にはなりたくない」と決めていた。倒産後に舞い込んできた他社役員のポストは全て拒否し、派遣社員として稼ぎをあげた。
そんな中、POSレジの開発事業を行っていた友人の会社が破産。レジではなく、内部ソフトの開発を新たに始めようと同社を起業した。
同社製品は全て、中小企業向けに会計ソフトを提供する弥生の認証付きだ。開発パートナーとして弥生と提携しているため、独自のデータベースを使用した関連製品の販売権を得ている。提供先はレストランや通販、小売業者など500社以上に及んでいる。